サクッとわかる高校世界史

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Entries from 2024-03-01 to 1 month

春秋の五覇と戦国の七雄

周が洛邑に遷都して東周となり春秋・戦国時代時代が幕を開けると、「覇者」と呼ばれた各地の有力者が力を持った。 →斉の桓公や晋の文公などが特に知られており、彼らとあと三人の覇者を合わせて「春秋の五覇」という。 五覇のひとりとされる楚の荘王 →春秋時…

殷周の興亡、春秋戦国時代の幕開け

城壁を持つ都市が登場し、文化の交流が一層盛んになっていった中国では、次第に都市を統べる国家が形成された。中国最初の王朝は「夏」であるとされており、伝説の皇帝である禹によって創始されたとされている。夏王朝の痕跡らしきものは近年見つかっている…

中国3000年史の始まり~黄河・長江文明~

中国3000年の歴史という言葉を聞いたことがあるように、中国大陸には数千年前から文明が存在した。今回は古代中国文明について解説します。中国には黄河と長江というふたつの大河川があり、この河川を中心に紀元前6000年ごろ文明が誕生しました。 →黄河流域…

古代東南アジア諸王朝を一気に解説

東南アジアの歴史というと、いくつもの島々に王朝が乱立していて頭の中がごちゃ混ぜになってしまうのではないだろうか。今回はそんな東南アジアの古代史(ここでは13世紀ごろまで)を解説していきます。 (外務省より引用) まず、上の地図からわかるように…

南インドの貿易とチョーラ朝の活躍

前回はハルシャ王がヴァルダナ朝を建国したことに触れたが、この王朝はハルシャ王死後にすぐ滅亡してしまい、以降北インドではヒンドゥー教勢力が覇を争った。(これら勢力をラージプートと言い、その意味は神の子である。) →ヴァルダナ朝は短命であったが…

グプタ朝時代のインド

3世紀後半のインド(特に北部)では、クシャーナ朝の衰退により政治的に不安定な時期が続いていた。 →4世紀にはいるとクシャーナ朝下で有力な領主であったグプタ家が台頭し、チャンドラグプタがグプタ朝としての地位を確立した。 グプタ朝の領土(Gabagool…

クシャーナ朝時代のインド

マウリヤ朝が衰退するにつれて紀元前2世紀ごろからギリシア人やイラン人が西北インドに進出してきた。 →紀元前1世紀になると匈奴と呼ばれる遊牧民に追われてクシャーン人がインドに進出し、ギリシア人にかわってインドを支配するようになり、クシャーナ朝…

マウリヤ朝の成立

紀元前6世紀に入るとインド各地で都市国家が次々に誕生していった。また、都市国家の中で力をつけた武器武士階層や商人らの支持を得て仏教やジャイナ教といった新しい宗教も誕生した。また、これらの宗教に並行してバラモン教でも改革運動が起こり、ウパニ…

インダス文明とアーリヤ人

紀元前2600年頃、インドで最も古い青銅器文明のインダス文明が誕生した。インダス川流域のモヘンジョ=ダーロやハラッパーなどに代表される遺跡は計画的に作られており、その町並みは現在も伺うことができる。また、現在も未解読のインダス文字が使われてい…

ローマの文化

ローマは紀元前1000年頃にエトルリア人たちが王国を建てて以来、西ローマ帝国の滅亡までの約1400年間、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)も含めると2000年以上の長い歴史を持ち、それ故に様々な文化も生まれた。彼らの豊かな生活は古代ギリシャの哲学者セネカが「…

キリスト教成立の歴史

先日突然登場したキリスト教はいつどこで誕生したのだろうか。今回はキリスト教の成立について取り上げます。 →キリスト教はパレスチナで1世紀に誕生した。 ユダヤ教の中でも律法を重視していたパリサイ派は偏見などに苦しむ人々を顧みることはなく、ローマ…

ローマ帝国の東西分裂

3世紀の危機と呼ばれる状況は284年に即位したディオクレティアヌス帝によって克服され、ローマ帝国は再建された。 →内外の危機に対処するため帝国を分割統治する必要性を感じ、帝国を東西に分けてそれぞれを正帝と副帝の2人が統治するテトラルキア(四帝文治…

ローマ帝国の成立と3世紀の危機

内乱の1世紀を平定したオクタウィアヌスは内乱時代に与えられていた権限を元老院へ返還すると申し出ると、元老院は尊厳者を意味するアウグストゥスの称号を与えた。(以外アウグストゥスとする) →帝政ローマの始まりである。(ローマ帝国) アウグストゥスは表…

ローマ共和政内乱の1世紀

度重なる戦争やラティフンディアの開始などによって貧富の差が顕著になると、これをなんとかして解決しようとした人物が現れた。グラックス兄弟である。 →兄のティベリウス=グラックスは没落した中小農民に土地を与えることで再建し、強い軍隊を組織しよう…

地中海へ拡大するローマ

重装歩兵を中心とするローマの軍隊は、ラテン人やエトルリア人の住む地域を征服し、紀元前3世紀にはイタリア半島の統一を果たした。 →紀元前264年から紀元前146年にかけてローマはフェニキア人の植民市カルタゴと対立し、3回にわたるポエニ戦争がおこった。…

共和政ローマの誕生

ギリシャ世界が暗黒時代の真っ只中であった紀元前1000年頃、イタリア半島では北方から古代イタリア人が南下して定住していた。(この頃中国では周王朝が誕生していた。)その中のラテン人の一派はティベレ川のほとりに紀元前753年頃ローマ市を建設した。これこ…

ギリシャの文化

エーゲ文明でも見られたようにギリシャ人文化は明るい人間中心的であった。 人々は多神教の宗教を信仰し、オリンポス12神を崇拝した。 ギリシャ神話にも12神は登場し、ゼウスを最高神としてそれぞれが世界の秩序を守っていると考えられた。 ゼウスの神の像 →…

ポリスの対立とフィリッポス2世

ペルシア戦争後、アテネがデロス同盟を結成したのと同じく、スパルタも紀元前6世紀にペロポネソス同盟を組織していた。(ペロポネソス同盟はデロス同盟に対抗するために設立されたのではなく、それ以前から存在していたが、はっきりとした成立年は不明である…

スパルタの国制

アテネと同じく、スパルタもギリシャ世界を代表するポリスであり、紀元前8世紀には貴族政治が行われていた。スパルタ教育の語源となったとも言われるこの国では、軍国主義的規律のもと生活が営まれていた。 スパルタ王レオニダス1世 (Jastrow作、wikipediaよ…

アテネ民主政の成立

ギリシャ世界を代表するポリスの1集中アテネがある。 アテネでは奴隷制度が発達し、総人口の三分の一まで及んだ。平民が進歩して重装歩兵部隊を組み、それまでは貴族のみが担っていた国防に参加するようになった。 →紀元前7世紀にドラコンにより法律が成文化…

ポリスと市民生活

ミケーネ文明が突然滅亡し、その後の暗黒時代があけるとポリスと呼ばれる都市が各地で成立していた。 →アクロポリス(城山)を中心に人々がシノイキスモス(集住)して都市を成立させていき、世界史ではこれをポリスと呼んでいる。 アテネのパルテノン神殿 (Stev…

エーゲ文明

エーゲ文明と呼ばれる青銅器文明がヨーロッパ公演を起こした。 エーゲ文明はクレタ文明とミケーネ文明という2つの文明の概念である。 紀元前2000年頃、クレタ島で起きたクレタ文明はクノッソス宮殿に特徴づけられるように、城壁など開放的で、また生き物を描…

ササン朝ペルシアの登場

クテシフォンに都を置いたパルティアはアルダシール1世によって滅ぼされ、イラン人によるササン朝が成立しました。アルダシール1世はゾロアスター教を用いて国の統一をはかりました。 →アルダシール1世の後を継いだシャープール1世はローマ帝国と戦い、皇帝…

アレクサンドロス大王の東方遠征

(世界の歴史まっぷより)前回チラッと登場したアレクサンドロス大王が今回の記事の主役です。彼は見方によって英雄か侵略者か変わる代表的な人物と言えるでしょう。マケドニア出身のアレクサンドロスは、紀元前334年、父フィリッポス2世の後を継いで東方遠征…

オリエント世界の統一

オリエント世界は紀元前7世紀に初めて統一された。 紀元前2000年紀に成立したアッシリア王国は、紀元前15世紀にミタンニ王国に服属していた。紀元前7世紀にオリエントを征服した。 アッシリア王国では国王による専制政治(独裁のようなもの)が行われ、都をニ…

東地中海文明の成立

現地のシリアやパレスチナにあたる東地中海地域は、地中海への入り口であることに加え、エジプトとメソポタミアの中間地点にあり交通の要所として栄えた。 紀元前16世紀にはカナーン人が交流を行っていた。 →紀元前13世紀に海の民と呼ばれる民族系統不明の集…

古代エジプト文明

メソポタミアに隣接するエジプトでも文明があった。ネイル川を利用した農業が営まれているギリシャ出身で歴史の父と呼ばれる歴史家ヘロドトスは[エジプトはネイルのたまもの]であると表現した。 紀元前3000年頃のファラオと呼ばれる王によって統一国家が建て…

古代メソポタミア文明

かつて、ヨーロッパ人は現在の中東にあたる地域をオリエントと呼んだ。 その中でもグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアと呼ばれる地域では、紀元前3000年頃から都市が形成され始めた。 →シュメール人がウル、ウルク、ラガシュなどの都市国家を作り、…