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ポリスと市民生活

ミケーネ文明が突然滅亡し、その後の暗黒時代があけるとポリスと呼ばれる都市が各地で成立していた。

アクロポリス(城山)を中心に人々がシノイキスモス(集住)して都市を成立させていき、世界史ではこれをポリスと呼んでいる。
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アテネパルテノン神殿

(Steve Swayne作、wikipediaより引用)

→安定した時代が始まり、人口増加に伴い土地が足りなくなる。

→紀元前8世紀半ばには植民市を建設し始める。マッサリアネアポリス、ビザンティオンなどが建設され、これらは現在のマルセイユナポリイスタンブールのもととなった。

フェニキア人の植民市との交易をめぐり対立が起こり、後のペルシア戦争の背景ともなった。

→ポリスはそれぞれが独立しており、統一国家が誕生することはなかったが、ギリシャ人としての意識は維持され、共通の言語と神話を持ち、ギリシャ人は自身のことをヘレネス、異民族をバルバロイと呼んで区別した。ちなみに、バルバロイはバーバリアンの語源になったと言われている。

 ポリスでは市民と奴隷の2つの身分が存在し、さらに市民には平民と貴族の別があった。貴族はその資金力を使って武装し、ポリスの国防を担うようになりやがては貴族による政治を行うポリスが一般的となった。ただし、貴族と平民の間に従属関係はなく、平等が原則とされた。

奴隷は市民から転落した者や戦争捕虜などが対象となり、売買の対象とされた。

 また、ポリスは城壁で囲まれており、アゴラ(広場)では市場や集会が行われ、市民らの生活の中心であった。市民は田園を所有し、奴隷を働かせていた。そのその結果、スコレー(閑暇)が生まれ、ヨユウが生まれたことで哲学が発達した。
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アテナ

 

まとめ

ポリス 貴族の指導のもと城山を中心に人々が集住してできた。広場が市民生活の中心。市民と奴隷の区別があった。貴族政治が行われた。