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キリスト教成立の歴史

先日突然登場したキリスト教はいつどこで誕生したのだろうか。今回はキリスト教の成立について取り上げます。

キリスト教パレスチナで1世紀に誕生した。 ユダヤ教の中でも律法を重視していたパリサイ派は偏見などに苦しむ人々を顧みることはなく、ローマ支配を受け入れていた。

パリサイ派形式主義にあるとイエスが批判し、彼は貧富の差のない神による愛と親切愛を説いた。救世主をギリシャ語にするとキリスト教となり、ここからキリスト教と呼ばれているのである。
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エス

パリサイ派からの嫌悪がらせによりイエスはローマへの反逆者として捕えられ、紀元後30年頃に処刑された。

→弟子たちはイエスを神聖化、ここでキリスト教が成立した。

→ペテロや通行などの好意によって布教が行われ、パレスチナ以外のキリスト教が蔓延っていた。また、教典は新約聖書旧約聖書であるとされた。

→しかし、ローマの宗教は多神教であったことに加え、皇帝礼拝を倹約したためにネロ帝やディオクレティアヌス帝によって強害を受けた。

→この間キリスト教徒たちカタコンベと呼ばれる地下礼拝堂を作って活動していた。


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パリのカタコンベ、頭蓋骨が並べられている

(イグニス作、wikipediaより)

→313年、コンスタンティヌス帝によってミラノ勅令が出され、キリスト教は公認された。その結果キリスト教は皇帝の保護のもとで勢力を拡大していた。アタナシウス派から三位一体説と呼ばれる考えが生まれ、正統義の根本となった。

→392年にはアタナシウス派キリスト教がローマの教となった。また、ササン朝を経由して唐代の中国にも伝播し、景教と呼ばれた。

 

まとめ

エス パリサイ派を批判し処刑された。人々からはメシアであると崇められた。

ミラノ勅令 コンスタンティヌス帝によってキリスト教が公認された。 また、コンスタンティヌス帝の時期には正統な教義を決める公会議も行われた