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クシャーナ朝時代のインド


マウリヤ朝が衰退するにつれて紀元前2世紀ごろからギリシア人やイラン人が西北インドに進出してきた。

→紀元前1世紀になると匈奴と呼ばれる遊牧民に追われてクシャーン人がインドに進出し、ギリシア人にかわってインドを支配するようになり、クシャーナ朝が成立した。

→2世紀前半のカニシカ王の時代に最盛期を迎えた。この時代に都はベグラームからプルシャプラに遷され、領土もガンジス川中流まで拡大した。

左上の緑色の部分がクシャーナ朝の領域
(PHGCOM作、wikipediaより)

→また、カニシカ王は仏教を保護したとされ、その結果かはわからないがこの頃に仏教は中央アジアや中国に広まっていった。また、仏教の中でも新しい動きがみられ、万人の救済を目指す大乗仏教と出家者自身の悟りを目指す上座部仏教にわかれ、前者は中国など北方に伝わり、後者は東南アジアに伝わった。

→また、クシャーナ朝は交通路の要衝に位置していたため、商業が活発でローマとの取引も行われていた。ローマの貨幣を参考にした金貨が大量に発行された。

→仏像にも西方のヘレニズム文化の影響を見ることができ、ガンダーラを中心に仏教美術が栄えた。

菩薩像。衣装にヘレニズム文化の影響を見て取れる。(Ninara作、wikipediaより)

 

南インドではクシャーナ朝と同時期にサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が成立しており、バラモンが南北を行き来したために南北の文化交流が進んだ。サータヴァーハナ朝でも仏教は保護され、またローマとの交易も行われていた。

 

まとめ

クシャーナ朝 クシャーン人によって建てられた。カニシカ王が最盛期。都はプルシャプラ

サータヴァーハナ朝 南インドで成立。王はバラモンを自称し、文化交流が進む。

大乗仏教 衆生の救済を第一とし、菩薩を信仰した。北方に伝わったため北伝仏教とも言う。

上座部仏教 出家者自身の解脱を第一とし、厳しい修行を行って救済を求める。小乗仏教とも言われる。

エリュトゥラー海案内記 1世紀ごろにギリシア人が記したとされる。インドの都市や交易について書かれている。