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グプタ朝時代のインド

3世紀後半のインド(特に北部)では、クシャーナ朝の衰退により政治的に不安定な時期が続いていた。

→4世紀にはいるとクシャーナ朝下で有力な領主であったグプタ家が台頭し、チャンドラグプタがグプタ朝としての地位を確立した。

グプタ朝の領土(Gabagool作、wikipediaより)

→チャンドラグプタ2世の時代に最盛期を迎え、南インドの王朝とも関係を深めた。

グプタ朝は西方に領土を拡大していき、その支配地は分権的に統治した。中央部は国王が直轄したり、従来の支配者に統治を任せたりし、周辺部は領主に統治させた。(封建制度のようなものである)

→国内ではバラモン教が再び力を持つようになり、サンスクリット語公用語とされた。(仏教やジャイナ教も依然として盛んであり、東晋から法顕が訪れている。)また、ヒンドゥー教が社会に浸透し始めたのもこの頃である

→文学も栄え、インド古典文学は黄金期を迎えた。二大叙事詩として知られる「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」が作られたのもグプタ朝時代であり、マヌ法典が完成したのもこの時代である。また、シャクンタラーの作者として知られるカーリダーサはチャンドラグプタ2世につかえた人物である。

→また、インドで生まれたことで有名なゼロの概念もグプタ朝時代に生まれたもので、天文学や数学が高度に発達していたことが伺える。

グプタ様式の壁画。ガンダーラ美術のようなヘレニズム要素がなくなり純インド的になった。

→やがて、遊牧民族のエフタル(エジプトを襲ったのはヒクソス)の侵入を受けて衰退し、戒日王ことハルシャ王によってヴァルダナ朝が成立した。

 

まとめ

グプタ朝 4世紀に成立、チャンドラグプタ2世の時代が最盛期。サンスクリット語公用語とされ、ゼロの概念も生まれた。グプタ様式が発展し、ガンダーラの影響を排した純インド美術が生まれた。エフタルの侵入により衰退した。