サクッとわかる高校世界史

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古代メソポタミア文明

かつて、ヨーロッパ人は現在の中東にあたる地域をオリエントと呼んだ。 その中でもグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアと呼ばれる地域では、紀元前3000年頃から都市が形成され始めた。

シュメール人がウル、ウルク、ラガシュなどの都市国家を作り、任意社会が形成される。

→紀元前2500年頃、アッカド人により征服される。 アッカド人は都市国家を統一し領域国家を形成した

→その後崩壊し、アムル人がバビロン第一王朝(古バビロニア王国)を建て、紀元前18世紀にはハンムラビ王が裁定し、正式制度と刑法を特徴とするハンムラビ法典が整備された。より栄える

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ハンムラビ法典

→紀元前17世紀にヒッタイトが襲いかかり、バビロン第一王朝を滅ぼした。 ヒッタイトは最初に鉄製武器を用い、エジプトとも戦った。
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鉄のイメージ

また、メソポタミアの北部にはミタンニ王国が、南にはカッシート王国が成立した。

→これ以降、メソポタミアには様々な国家が並んだ。 これらの国家は多神教の宗教を信仰したほか、60進法から太陽太陰暦などを発達させ、高レベルの文明となった。

まとめ

民族 シュメール人アッカド人→アムル人→ヒッタイト人、カッシート人、フルリ人(ミタンニ王国)

国家 都市国家アッカド王国→バビロン第一王朝→ヒッタイト王国(紀元前17世紀)→カッシート王国(紀元前16世紀)、ミタンニ王国(紀元前15世紀)

文化 楔形文字、観念制と対抗法を持つハンムラビ法典、60進法、太陽太陰暦