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古代東南アジア諸王朝を一気に解説

東南アジアの歴史というと、いくつもの島々に王朝が乱立していて頭の中がごちゃ混ぜになってしまうのではないだろうか。今回はそんな東南アジアの古代史(ここでは13世紀ごろまで)を解説していきます。

(外務省より引用)

まず、上の地図からわかるように東南アジアは大陸部分(タイなど)と島しょ部(インドネシアなど)に分けて考えることができる。ここではまず大陸部分の歴史から見ていきます。

ベトナム北部

→紀元前2000年紀末にベトナムやタイ東北部で青銅器文化が発達していた。

→紀元前4世紀にはいると中国の影響を受けてドンソン文化が形成され、銅鼓と呼ばれる青銅器が作られ、祭祀などで使われたと考えられている。

銅鼓

→ドンソン文化は紀元前1世紀ごろまっで続き、この間にベトナム北部には中国の郡(現在の日本でいう県のようなもの)がおかれ、これ以降中国の影響をより一層受けることとなった。

→10世紀に唐が滅亡したことをきっかけに中国からの独立を目指す動きが活発になり、11世紀初頭(中国では北宋が成立していた)に大越国(李朝)として独立した。

李朝→陳朝→黎朝の順に王朝が変化したが、中国の官吏登用制度である科挙が行われたり、陳朝のころには漢字をもとにチュノムという文字が作られたりと依然として中国の影響を受けていた。

ベトナム中部

→2世紀末にチャム人が中国の支配から自立し、港市国家を建てた。この国はチャンパーと呼ばれ、一時滅亡するも立て直して17世紀まで存続した。中国の資料では、林邑→環王→占城と名前を変えて登場する。なお、ベトナム中部には2世紀中ごろに大秦王安敦なる人物が遣わした中国への使者が到達しており、大秦王安敦はローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスのことであるとされている。

カンボジアラオスメコン川流域)

→1世紀末に扶南が建国された。扶南は東南アジア最古の国家(港市国家)とされている。港のオケオではローマやインドの品々が出土しており、活発な貿易が行われていた。

→4世紀から5世紀にかけて、貿易によってインドの影響力が強まり、各地でインド化と呼ばれる変化が生じた。

→6世紀にはいるとクメール人によってヒンドゥー教の影響を強く受けたカンボジアが建てられ、扶南はこの時滅ぼされた。(これもインド化の一例)カンボジアは9世紀に都をアンコールに定め、12世紀にはここでアンコールワットが造営された。

カンボジア国旗。中央に描かれているのがアンコールワット(外務省より)

・タイ(チャオプラヤ川下流

→7世紀から11世紀にかけてモン人によりドヴァーラヴァティー王国が形成された。この国家では上座部仏教が信仰された。

→13世紀にはタイ人が建てたスコータイ朝が建国された。これがタイ人による最古の王朝である。スコータイ朝上座部仏教を信仰し、またタイ文字も作られた。

ビルマ(イラワディ川流域)

→1世紀ごろから9世紀ごろまでピュー人の国が建てられていた。

→11世紀にビルマ人によってパガン朝が成立し、ビルマ文字が作られ、ここでも上座部仏教が信仰された。

 

ここからは島しょ部の歴史を解説していきます。

スマトラ島

→7世紀にパレンバンを中心にシュリーヴィジャヤ王国が成立した。この国は唐に朝貢しており、義浄も訪れている。この国では大乗仏教が盛んであった。

・ジャワ島中部

→8世紀にヒンドゥー教マタラム王国(732~1222)や大乗仏教を信仰したシャイレンドラ朝が成立した。シャイレンドラ朝は初めは仏教が盛んに信仰されており、仏教寺院のボロブドゥールが建設されていたが、次第にヒンドゥー教の影響が強くなっていった。また、ジャワ島ではワヤンと呼ばれる影絵が生まれ、インドの「マハーバーラタ」などが演じられた。

ボロブドゥール寺院(22Kartika作、wikipediaより)

 

補足

インド化についてもう少し詳しく解説します。

インド化とはヒンドゥー教や統治方法、文字、神話、仏教などが貿易などを通して東南アジアに伝播し、各国の基礎となる文化が形成される際に受け入れられていったことを指します。最初にインド化したのは扶南であると考えられています。

インド化の一例としてチャンパーという国名はインド式の国名であり、またタイ文字などもインドの文字をもとにして作られています。

読んでいただきありがとうございます。次回からは古代中国世界について取り上げます。サブスクライブしていただけると励みになります。