サクッとわかる高校世界史

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地中海へ拡大するローマ

重装歩兵を中心とするローマの軍隊は、ラテン人やエトルリア人の住む地域を征服し、紀元前3世紀にはイタリア半島の統一を果たした。

→紀元前264年から紀元前146年にかけてローマはフェニキア人の植民市カルタゴと対立し、3回にわたるポエニ戦争がおこった。第一次ポエニ戦争では、シチリア島がローマ領土となり、ローマはじめての属州が誕生した。(属州支配はイタリア半島以外の征服地で行われた)かのナポレオンが世界の名将にその名をあげたハンニバルカルタゴの将軍であった。第二次ポエニ戦争ハンニバルカンネーの戦いでローマに勝利し、滅亡の危機にまで陥れるが、ローマの将軍スキピオの活躍によりザマの戦いでローマはハンニバルを破り、最後にはローマが勝利した。
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カルタゴの将軍ハンニバル。第二次ポエニ戦争を開始した人物とされ、父のハミルカルもまたカルタゴの将軍であり、第一次ポエニ戦争で活躍した。

→紀元前2世紀にはマケドニアギリシャ各ポリスを支配下に置き、地中海を我がものとした。


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ローマ領土の変遷

(世界の歴史まっぷより)

ローマは征服した都市と個別に同盟を結び、それぞれに異なる権利と義務を与えた。都市は植民市、自治市、同盟市順に権利をもっていた。このように都市ごとに待遇を変えることでローマに対して団結して反抗することを予防した。このような統治方法を、分割統治という。

→戦争の長期化により、出陣していた中小農民の土地が荒れて農民が没落し、多くのものがローマ市流入した。無産市民となった彼らは属州からの恩恵を目にしてさらなる征服戦争を望んだ。また、属州で税を取り立てていた騎士階層は莫大な富をた。

→農民が手放した土地を購入したり、公有地を手に入れたりして自分の土地を広げ、奴隷を用いたラティフンディアをおこなうようにった。

→経済格差が深刻化するとともに、さらなる戦争で農民が没落し共和政が揺らぎ始める

 

まとめ

ポエニ戦争 第一次でシチリア島を獲得し初の属州とする、第二次ではハンニバルスキピオが活躍する。

戦争の弊害 中小農民が没落し、経済格差が広がり、共和政に陰りが見え始める。