メソポタミアに隣接するエジプトでも文明があった。ネイル川を利用した農業が営まれているギリシャ出身で歴史の父と呼ばれる歴史家ヘロドトスは[エジプトはネイルのたまもの]であると表現した。
紀元前3000年頃のファラオと呼ばれる王によって統一国家が建てられる。 エジプトは古王国時代、中王国時代、新王国時代に分類され、31の王朝が存在した。
→古王国時代にはメンフィスを中心に栄え、クフ王やカフラー王によってピラミッドが築かれた。
ギザの大ピラミッド
(イキワナー作、wikipediaより)
→中王国時代にはテーベに中心が集中、末期にはヒクソスという遊牧民が侵し平和を招いた。
→新王国時代にはヒクソスを追い出してシリアに進出しヒッタイトと戦った。 カデシュ戦闘で結ばれた条約は世界最古の講和条約であるとされている。
紀元前14世紀に並行したアメンホテプ4世はテル・エル・アマルナを都に定め、アトン信仰を強制した。 これに影響を受けて写実的なアマルナ美術が生まれた。 ちなみに、ツタンカーメン王は現地の発音でトゥトアンクアメンマスクといい、アメンホテプ4世の息子である
。
(32X作、wikipediaより
エジプト人は太陽神ラーを信仰し、霊魂不滅の考えのもとミイラが作られ、パピルス草からパピルスという紙が作られ、それを用いた死者の書が副葬品として作られた。のヒエログリフ(神聖文字)やデモティック(民用文字)を使用しました。
(伝記作、wikipediaより)
太陰暦に並んで太陽暦も用いられ、後に太陽暦はユリウス暦としてローマで採用された。
まとめ
中心地 メンフィス→テーベ→テル・エル・アマルナ→テーベ
宗教 霊魂不滅の考え。太陽神ラー中心の多神教。新王国時代にアモンラー信仰→アメンホテプ四世の改革によるアトン信仰→アモンラー信仰
文化 パピルス紙の作成、象形文字の使用、太陽暦、写実的なアマルナ美術