(世界の歴史まっぷより)前回チラッと登場したアレクサンドロス大王が今回の記事の主役です。彼は見方によって英雄か侵略者か変わる代表的な人物と言えるでしょう。マケドニア出身のアレクサンドロスは、紀元前334年、父フィリッポス2世の後を継いで東方遠征に駆り出した。
アレクサンドロス大王像
(G.dallorto作、wikipediaより)
→エジプトを征服し、その後アケメネス朝も滅ぼした。インド北西部まで領土を広げ、各地に自らの名を冠した都市、アレクサンドリアを建設した。現在のエジプトの都市アレクサンドリアはそのうちの1つである。
→アレクサンドロスは32歳のときにバビロンで急死し、後継者を巡って戦争になった。これをディアドコイ戦争という。
→戦争を勝ち残った3人により、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプトが成立した。セレウコス朝が最も多くの領土を継承した。
ディアドコイ(後継者)の国の勢力図
(世界の歴史まっぷより)
→紀元前3世紀にはセレウコス朝の中のギリシャ人が独立してバクトリアを建て、これにつられて遊牧イラン人も族長アルサケスを中心にパルティアを建てた。パルティアは中国で安息と呼ばれた。
→パルティアが力をつけ、紀元前2世紀には都をクテシフォンに置き、メソポタミアを支配して栄えた。
まとめ
国 ・アジア方面=アケメネス朝→アレクサンドロス大王の帝国→セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア
・エジプト方面=アケメネス朝支配下→アレクサンドロス大王の帝国→プトレマイオス朝エジプト