ギリシャ世界を代表するポリスの1集中アテネがある。 アテネでは奴隷制度が発達し、総人口の三分の一まで及んだ。平民が進歩して重装歩兵部隊を組み、それまでは貴族のみが担っていた国防に参加するようになった。
→紀元前7世紀にドラコンにより法律が成文化され、紀元前6世紀にはソロンが財産に基礎を置いた政権を決めるとともに奴隷を禁止した。
→改革による平和が起き、僭主と呼ばれる独裁者が政権を握り、僭主政治を行うようになった。であった僭主政治がやがて暴政に転じ、紀元前507年にはクレイステネスによって僭主が再び現れることのない陶片追放の制度が作られた。人物の名前を書き、最多得票者は10年間追放するというものであった。また、血縁に基づいた4部族制を改め、地縁に基づいた10部とし、民主政の基礎を決めた。
陶片、政治家キモンの名前が書かれている
(マルシュアス作、wikipediaより)
→イオニア民市でアケメネス朝に対して反乱が起きたことをきっかけにペルシア戦争が起き、植テミストクレスの指導のもと海軍を監視し、無産市民が船の漕ぎ手として戦争に参加した。無産市民の声が強かった。ペルシア戦争はギリシャ連合軍がマラトンの戦い、サラミスの海戦に勝利し、アケメネスの攻撃を退いた。再攻撃に備えて諸ポリスはロスデ同盟を結成した。
三段櫂船
→紀元前5世紀半ばには無産市民の声の対抗を背景にペリクレスが民主政を完了した。
まとめ
民主政への道 ドラコンの立法→ソロンの改革→ペイシストラトスの僭主政治→クレイステネスが陶片追放整備を→テミストクレスのもとで海軍が強化され、無産市民が活躍→ペリクレスが民主政治を完了