昨日投稿したノルマン=コンクエストで合計100記事を突破しました。いつもありがとうございます。ここまで書いてきたわけですが、大きな話題についてまだ取り上げていなかったので、ここで書きたいと思います。というのも、「ランケ以前の歴史はどう記述されたのか」ということに触れていませんでした。歴史の父ヘロドトスはあまりにも有名ですがそれ以降はランケの時代まで有名な歴史家はあまり多くないように思いますし、その時代(中世)の歴史観のようなものについて知る機会もないように思います。
ということで今回は中世ヨーロッパの歴史観について書きたいなと思います。
この部分に関しては多数の知識人たちが書物を著していますが、さすがに全員を取り上げることは難しいので、ここではアウグスティヌス、ボシュエ、ヴォルテール、ランケを主に取り上げていきたいと思います。
歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです。:E・H・カー「歴史とは何か」
この言葉はかの有名な歴史家カーのものです。歴史とは何のかということについては長年にわたって様々な議論がされてきました。まずは普遍史について見ていきましょう。
普遍史とは
普遍史とは、キリスト教の聖書に基づいて構成される歴史観のことです。具体的には天地創造からペルシアやギリシアといった帝国までの時代を扱い、これら帝国が滅んだ後に終末が訪れ、神の国が出現するという物です。普遍史は3つの段階に分けることが出来、
①天地創造からアダムとイブ・大洪水、
②大洪水からアッシリア帝国
③アッシリア帝国からペルシアなどの帝国の時代
といった具合に分けられます。
神の国というのは天使たちの仲間に加えられた人々が住む国のことで、キリスト教における重要な要素の一つです。そしてこの普遍史を書いたことで有名な人物がアウグスティヌスです。アウグスティヌスは4世紀半ばから5世紀前半にかけての人物で、一時期マニ教を信仰し、後にキリスト教の司教として活躍しました。

アウグスティヌス
アウグスティヌスは「神の国」(本の名前)の中で歴史は地上の国と神の国の二項対立の中で、神の教えを受けて神の国が発展していくものであるとしました。地上の国は最後の審判において消滅し、最後には神の国のみが残るとされました。
アウグスティヌスはローマ帝国が滅亡することを終末と考え、その後に神の国が現れると考えていました。しかし、ご存知の通り(西)ローマ帝国が滅亡しても神の国なるものは出現しませんでした。つまり、アウグスティヌスの歴史に誤りが生じたわけです。

アウグスティヌス「神の国」
これを修正したのがフライジングのオットー(12世紀半ば)という司祭でした。彼はフランク王国のカール大帝から神聖ローマ帝国を普遍史に取り入れ、ローマの皇帝権はフランクに継承された、つまりローマはまだ滅んでいないのだと解釈しなおしました。これにより終末はまだ訪れていないことになり、普遍史観は啓蒙思想が出現する18世紀までヨーロッパで受け入れられていました。
これで一応の体裁は保てたように思われた普遍史ですが、時代はルネサンスに突入、キリスト教以前の人間を見つめる機運が高まっていきました。さらに17世紀には科学革命が起こり、聖書を参照して記述された普遍史は批判の対象となったのです。
これに対応すべく1681年に「普遍史」を著したのがボシュエです。彼はフランスのルイ14世に仕えた人物で王権神授説を唱えたことで広く知られています。ボシュエは初期キリスト教時代から人間は少しずつ堕落してきているという考え方を持っていました。この考え方は古代派と呼ばれ、当時の主要な歴史観の一つでした。

ボシュエ
ボシュエの歴史は天地創造からスタートし、カール大帝による西ローマ帝国の復活を終点としています。ここからわかる通り、かつては歴史=ローマまでだったのです。
ボシュエは特にローマ帝国を中心に据え、コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認は神の意志の実現であり、またカール大帝による復活は教会が帝国の支配者になったという文脈で位置づけました。ボシュエはアウグスティヌスのような二元論を放棄し、人間の動きに着目しました。なぜなら、人間の行動の根底には神があると考えられたからです。なお、ボシュエ以外もそうですが、普遍史においてヨーロッパ以外の地域は基本的に歴史の対象とされていません。
ボシュエによって再構築された普遍史ですが、科学の発展には勝てませんでした。自然科学の分野では地球自体の歴史と天地創造の時期に齟齬があることが指摘され、また「神」の存在それ自体も批判の対象となっていったのです。18世紀、ヨーロッパ社会はいわゆる啓蒙思想の時代を迎えるのでした。
ここからは啓蒙思想の大家ヴォルテールの歴史観について見ていきます。ヴォルテールは政治史ではなく、文化や習俗などを中心に据え、「事実」を重視しました。つまり聖書に基づく歴史観を捨て、科学に基づく歴史観を構築しようとしたのです。もっとも、ヴォルテール自身は神やキリスト教を全否定していたわけではありませんが、、、

ヴォルテール
ヴォルテールは文量こそヨーロッパの方が多いものの、アジアなどヨーロッパ外の地域についても歴史に組み込んでいきました。特に中国についてはその道徳性などを高く評価していました。同時に、かつてヨーロッパよりも進んでいたアジアをヨーロッパが追い越したことも強調しました。また、ヨーロッパが絶対的優位なのではなく、アジアが再びヨーロッパを超えることも想定していたとされています。
このように啓蒙主義によって普遍史は批判にさらされ、非ヨーロッパと事実を重視する歴史が構築されるようになっていったのです。ここで、事実を重視した歴史家として最も高名なレオポルト=フォン=ランケについて述べたいと思います。もちろんこの時代にはヘーゲルなど重要人物が多数活躍していますが、今回は割愛します。

近代歴史学の父とも称されるランケは啓蒙主義のような人々を教え導く歴史ではなく、歴史事実の個別性、事実性を重視した歴史を構築しました。つまり実証的な歴史学であり、啓蒙主義とは別物であることに注意が必要です。ランケはこの事象への正確な理解に加えて、一貫した普遍性が無ければならないと考えました。つまり、ランケは歴史の関係性に着目していたのです。
このようにして、キリスト教の聖書を中心に据えた普遍史は今日の私たちの知る事実に基づく「歴史」へと至ったのでした。21世紀にはインターネットの急速な普及により全世界が接続されることとなり、また教育は全ての人間にー少なくとも日本においてはー開かれたものとなりました。もはや歴史は知識人だけのものではなくなり、一人一人が歴史観を構築できるようになったのです。
近年、世界システム論やグローバルヒストリー、境域の人びとの歴史、男女論など新たな視点からの歴史が次々に考案されています。新しい視点から歴史を見つめ、そして現代社会を理解するという必要性に私たちは迫られているのです。
主要参考文献:
カー、E・H、近藤和彦(訳)「歴史とは何か 新版」岩波書店、2022年
小林淑憲「アウグスティヌスの社会思想」『季刊北海学園学園大学論集』70(1)、2022年
仲栄太郎「ランケの世界史像」『大阪學藝大学紀要 A, 人文科学』1956年
南塚慎吾「「世界史」の誕生:ヨーロッパ中心史観の淵源」ミネルヴァ書房、2023年
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