周が洛邑に遷都して東周となり春秋・戦国時代時代が幕を開けると、「覇者」と呼ばれた各地の有力者が力を持った。
→斉の桓公や晋の文公などが特に知られており、彼らとあと三人の覇者を合わせて「春秋の五覇」という。
→春秋時代の後半には戦争が激しくなり、覇者たちはもはや周王を無視するようになり、自らを「王」と称した。
→周王朝の下での秩序が崩れ、戦国時代が始まった。ちなみに、春秋時代の春秋とは、孔子の著書「春秋」からきており、戦国時代の戦国は「戦国策」という著書からきている。
→戦乱が続き小国が駆逐されていくと、七つの強国が覇を争うようになった。秦、楚、斉、燕、趙、魏の七か国は「戦国の七雄」と呼ばれている。(魯や衛といった小国も一応存在した。魯は孔子の出身地である)
→戦国時代に中国としてのまとまりが生まれるようになり、中国を世界の中心と考えて周辺国を夷狄(いてき)といい、中華に劣った存在であるという考えが生まれた。この考え方は一般に「華夷思想」と呼ばれている。この思想では、中華の北方を「北狄」、東方を「東夷」、西方を「西戎」、南方を「南蛮」と呼んだ。(後の時代の朝鮮では「小中華」という考えが生まれる)
→また、社会も変化し、大商人や自営農民が登場し実力主義の色が濃くなっていった。国家運営においても血統を重視していた時代は終わり、有能な人物を登用するようになった。
→様々な人が登用された結果、新しい思想がたくさん登場し、彼ら思想家は合わせて「諸子百家」と呼ばれている。彼らの思想は現在にも影響を与えており、孔子や荀子といった有名人が諸子百家に数えられている。
まとめ
春秋の五覇 周王の権威の下で力をつけ、やがて王を名乗った。桓公や文公に加え、荘王、襄公、穆公などがいる。(五覇ではあるが候補とされる人物は七人いる)
戦国の七雄 戦国時代を代表する七国のこと。秦、楚、斉、燕、趙、魏を指す。
諸子百家 戦国時代の実力主義のなかで台頭した思想家。(次回解説)