度重なる戦争やラティフンディアの開始などによって貧富の差が顕著になると、これをなんとかして解決しようとした人物が現れた。グラックス兄弟である。
→兄のティベリウス=グラックスは没落した中小農民に土地を与えることで再建し、強い軍隊を組織しようとした。しかし、護民官の再選に失敗すると、国法に反したとして殺された。このため、ティベリウスによる改革は失敗に終わった。
→弟ガイウス=グラックスは元老院に対抗する勢力を確保することに努めたが、最後には3000人の味方とともに殺された。このためガイウスによる改革も失敗に終わった。
→グラックス兄弟の改革に影響され、野心的な政治家が台頭してきた。彼らは元老院の伝統的な支配を維持しようとする閥族派と平民のために働くことを唱える平民派に分かれて争った。特に、閥族派のスラと平民派のマリウスは私兵を用いて争いあった。内乱の1世紀の始まりである。
→地中海各地では反ローマ闘争が開始され、同盟市は市民権を求めて反乱を起こし、剣闘士奴隷のスパルタクスも反乱を起こした。
→反乱を鎮圧するなどの功績をあげたポンペイウスはコンスルに選出されたが、元老院は彼の功績を認めなかったため、彼は元老院と閥族派に対抗してカエサル、クラッススとともに第一回三頭政治を組織した。しかし、その後クラッススが亡くなるとカエサルとポンペイウスは対立し、やがてカエサルが勝利して紀元前44年に独裁官に選出されたが暗殺された。
カエサル統治下のローマ
(Alvaro qc作、wikipediaより)
→カエサルの遺言により、後継者にはオクタウィアヌス、アントニヌス、レピドゥスが指名され、彼らは第二回三頭政治を組織した。
オクタウィアヌスの像
→その後すぐにオクタウィアヌスとアントニヌスは権力争いを始め、オクタウィアヌスは紀元前31年、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラと結んだアントニヌスをアクティウムの海戦で破り、権力争いに勝利した。
→オクタウィアヌスによって地中海は平定され、内乱の1世紀は終結した。同時にプトレマイオス朝エジプトは滅亡し、ローマの属州となった。(また、東アジアでは前漢時代の中国に仏教が伝来していた。)
まとめ
グラックス兄弟の改革 大土地所有者の土地を没収して無産市民に分配し、強い軍隊を組織することを目指したが失敗に終わった。その後、政治は閥族派と平民派に二分され、内乱の1世紀と呼ばれる時代を迎えた。
三頭政治 第一回はポンペイウス、カエサル、クラッススで組織され、第二回はオクタウィアヌス、アントニヌス、レピドゥスで組織された。