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共和政ローマの誕生

ギリシャ世界が暗黒時代の真っ只中であった紀元前1000年頃、イタリア半島では北方から古代イタリア人が南下して定住していた。(この頃中国では周王朝が誕生していた。)その中のラテン人の一派はティベレ川のほとりに紀元前753年頃ローマ市を建設した。これこそが15世紀まで存続するローマ帝国の始まりである。ローマは始め王政を採っていた。
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狼の乳を吸うロムルスとレムス。この双子はローマの建国者とされ、狼によって育てられたという伝説がある。

→紀元前6世紀末にイタリア半島に先住していたエトルリア人の王を追放して共和政となった。

→ローマでは貴族(パトリキ)と平民(プレブス)という2つの身分が存在した。共和政では王に代わって任期1年のコンスル(執政官)が2名置かれ、貴族の中から選出された。コンスルは最高官職であり、大きな権力を持ったため、定員を2名としたのである。王政時代に存在した長老会は定数300人の元老院となり、大きな権威を持つようになり、コンスルを指導する立場として政治をリードした。また、緊急時には任期半年でコンスルに代わって設置される独裁官(ディクタトル)が独裁権を行使できた。
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元老院議事堂(復元)

→王政の崩壊により戦争に見舞われると、国防に参加せざるを得なくなった平民である中小農民は次第に貴族による政治に不満を持つようになった。

→身分闘争が始まり、紀元前5世紀前半にはコンスルらに対し拒否権を発動できる平民出身の護民官と平民だけで組織する平民会が設置された。また、十二表法の制定によって法律が成文化され、平民の地位が向上する1つのきっかけとなった。

→紀元前367年、リキニウス・セクスティウス法が制定され、コンスルの内1人は平民から選出されることが決まり、紀元前287年にはホルテンシウス法が制定されて平民会の議決が元老院の認可を得ずに国法となることが定められた。

→政治上の権利は平等となった。その後、平民と貴族それぞれの有力者は協力して官職の独占を図るようになり、やがて官職は一部の有力な家系が握ることとなり、新貴族層の彼らをノビレス貴族と呼ぶ。

 

まとめ

政治体制 エトルリア人の王による王政→共和政

身分闘争 護民官設置、十二表法の制定。→リキニウス・セクスティウス法で平民の1人がコンスルに就任。→ホルテンシウス法で平民会の議決が国法になる。