ペルシア戦争後、アテネがデロス同盟を結成したのと同じく、スパルタも紀元前6世紀にペロポネソス同盟を組織していた。(ペロポネソス同盟はデロス同盟に対抗するために設立されたのではなく、それ以前から存在していたが、はっきりとした成立年は不明である。)
→ペルシア戦争後アテネが強大化してくると、最強を自認するスパルタを刺激し、スパルタはアテネに反発してしばしば対立抗争が起こった。
→紀元前431年には戦争に発展し、ギリシャ世界は民主政ポリスによるアテネ側陣営と貴族政ポリスによるスパルタ側陣営とに分かれて戦った。この戦争をペロポネソス戦争と言う。(ペロポネソスはギリシャにある半島の名前)
→はじめはアテネ側が優勢であったが、疫病の流行によりペリクレスが死亡して政治的混乱が発生した。
→アケメネス朝と結んだスパルタの勝利に終わった。スパルタはギリシャ世界の覇者となったが、安定は訪れずどこかでは戦闘が起こっているという状況が続いた。
→紀元前4世紀半ばにはスパルタに変わってテーべが台頭し一時期覇権を握るが、指導者が戦死したために力を失った。
→混乱の中で市民は土地を失い、傭兵となる者が出てきたことで市民の結束は失われた。同時期に北方ではマケドニア王国が力をつけ始めていた。
→紀元前338年、マケドニア王国のフィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父親)とアテネ・テーベ連合軍が衝突し、これはカイロネイアの戦いと呼ばれる。
→マケドニア王国が勝利し、ギリシャ世界の覇権はマケドニアのものとなった。フィリッポス2世はスパルタを除く全ポリスをコリントス同盟に加入させて支配した。
黄色がコリントス同盟の範囲
(世界の歴史まっぷより)
まとめ
ペロポネソス同盟:スパルタ中心、貴族政ポリスが所属
コリントス同盟:マケドニアにより結成される。スパルタ以外の全ポリスが所属