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外戚による国家「新」の誕生

前回は武帝以降の漢では宦官や外戚の台頭によって皇帝権力が弱まったというところまでを解説しました。漢はそもそも紀元前202年に成立したのですが、およそ200年後の紀元8年、ついに外戚である王莽(おうもう)によって乗っ取られてしまいました。今回は王莽の建てた国家について解説します。

→紀元8年、外戚として力を持った王莽は時の皇帝平帝(14代皇帝、へいてい)が亡くなると漢の皇帝を廃して自らが皇帝となり、「新」を建国した。

平帝の皇后の父親として力を持った王莽

→王莽は周の時代の政治を復活させようとして急激に改革を推し進めたために各地で反発を招いた。(周の政治は儒教において理想とされていた)

→紀元18年、赤眉の乱がおこった(せきび)

→この乱の最中に劉秀(りゅうしゅう)という人物によって漢は復興(後漢)され、新は滅んだ。

漢を復興した劉秀(のちに光武帝と呼ばれる人物)

 

まとめ

 外戚の王莽が漢に代わって建国し、周の政治を理想とした。赤眉の乱により滅亡した。

劉秀 赤眉の乱で勢力を伸ばした人物。漢の一族の人間で漢を復興し、現在では光武帝と呼ばれている。