中国との深いつながり 古代朝鮮・日本
前回は魏晋南北朝時代をすべて解説しました。今回は古代朝鮮・日本の歴史と中国との関わりについて解説していきます。本題に入る前に、前回まで中国史ばかりを扱ってきたので時系列を軽く整理したいと思います。(年表表示の都合上パソコンで読まれることを推奨します)
・ヨーロッパ ・中国
紀元前2000年 エーゲ文明が繁栄 殷が成立(前1600ごろ)
紀元前1000年 鉄器時代始まる 周が成立(前1050ごろ)
紀元前800年 ローマ成立(前753ごろ) 春秋時代始まる(前770ごろ)
紀元前500年 ローマ共和制(前509) 戦国時代始まる(前403)
紀元前300年 ローマ、シチリア獲得(前241) 秦が中華統一(前221年)
紀元前200年 カルタゴ滅亡(前146) 前漢成立(前202)
紀元 100年 ローマ元首政開始 後漢成立(25)
前回までの中国史の流れをヨーロッパと並べるとこのようになります。今回は200年ごろに成立した衛氏朝鮮から解説していきます。なお、檀君神話や簀子朝鮮については神話との境界が曖昧なことに加え、中国側史料との間に大きな食い違いがあるため取り上げません。
→紀元前194年、衛満(えいまん)によって朝鮮半島北部に衛氏朝鮮が建国された。衛満は漢人であった。
→漢の武帝によって征服され、朝鮮北部は漢の領土として楽浪郡など4つの郡を設置した。その後朝鮮北部では紀元前37年ごろ成立したとみられる高句麗が漢の支配を脱して強大化し、5世紀に最盛期を迎えた。
→朝鮮半島南部には部族集団の馬韓(ばかん)・辰韓(しんかん)・弁韓(べんかん)の三国が紀元前2世紀ごろに成立し、4世紀まで存続した。この三国を合わせて三韓といい、4世紀半ばにはそれぞれが百済(ひゃくさい)・新羅(しんら)・伽耶(かや)に取って代わられた。高句麗、新羅、百済の三国並立時代を三国時代という。仏教や漢文などが中国から取り入れられ発展したのはこの時代であった。
→日本は朝鮮半島が三国時代にあったころ多くの小国家が乱立しており、その中から邪馬台国(やまたいこく)が有力となっていた。邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)は魏に朝貢し、親魏倭王(しんぎわおう)の称号を与えられていた。
→4世紀にはヤマト王権のもとで国家統一が進み、5世紀には倭国(わこく)として中国に朝貢した。ちなみに、古代日本は朝鮮半島南部にも領土を持っていたとする説もある。