今回はビザンツ帝国以外の東ヨーロッパ地域の歴史について見ていきます。6世紀ごろはスラブ人が活発に活動しており、彼らはビザンツ帝国やカトリックから大きな影響を受けつつ、現在のロシアの元となる国家などを建設していきました。
→9世紀に建てられたノルマン系のノブゴロド国やキエフ公国は、現地に元から住んでいたスラブ人と合わさり、スラブ化していった。この地域のスラブ人は東スラブ人と呼ばれ、ロシア人などが含まれる。
→キエフ公国は10世紀のウラディミル1世の時代に最盛期を迎えた。キエフ公国はこの時代に領土を拡大し、ギリシア正教を国教とした。現在のロシアがカトリックではなくロシア正教を信仰している人が多いのもこのためである。キエフ公国では農民の農奴化が進み、その後の近世においても東ヨーロッパでの農奴解放は西ヨーロッパと比べて遅れ気味であった。
→13世紀にはモンゴル帝国の攻撃を受け、南ロシアにモンゴル帝国の地方政権でバトゥという人物の治めるキプチャク=ハン国が建てられた。キエフ公国は滅ぼされ、生き残った者はおよそ240年にわたってキプチャク=ハン国の支配下に入り、この時代は「タタールのくびき」と呼ばれている。

→14世紀にはいるとキプチャク=ハン国では内紛が起こり弱体化し、ほかのモンゴル帝国系列の国家も衰退を始めた。ロシアではモスクワ大公国が勢力を拡大し始め、イヴァン3世の時代にモンゴルからの支配を脱した。イヴァン3世は皇帝を意味するツァーリという称号を用い、自らをローマ帝国の後継者であるとして権威を高めようとした。(イヴァン3世が即位したころ既にビザンツ帝国は滅亡していた。)

→イヴァン3世の孫で1533年に即位したイヴァン4世は雷帝の異名を持ち、専制君主として中央集権化を推し進めた。また、コサックと呼ばれる元農民の戦士のリーダーであったイェルマークが占領したシベリアを領土に組み入れ、アジアへの勢力拡大も図った。
→また、南スラブ人はバルカン半島への進出も果たしており、その一派のセルビア人は12世紀にセルビア王国を建て、14世紀にはビザンツ帝国支配から抜け出して最盛期を迎えた。
まとめ
ウラディミル1世 キエフ公国最盛期の君主。ギリシア正教を受容し、国教とした。
タタールのくびき バトゥによって征服され、モンゴル人による支配を受けていた時代を指す言葉。キプチャク=ハン国はバトゥが君主となり、サライに都をおいた。
モスクワ大公国 14世紀に台頭し、イヴァン3世のころに皇帝を名乗り始めた。イヴァン4世の時代に中央集権化が進んだ。
セルビア 12世紀に国家を建国し、14世紀にはビザンツ帝国支配から独立して最盛期を迎えた。その後、オスマン帝国の支配を受けた。