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中世ヨーロッパ世界の商業ネットワーク

ヨーロッパ世界は三圃制の導入と安定した封建制度によって成長したということに以前触れました。また、前回の十字軍解説では遠隔地貿易という単語を用いました。今回は、安定した社会でどのように商業が拡大していったのかについて見ていきます。

貨幣経済と十字軍の影響でヨーロッパ人たちの商業活動が活発化した。特に11世紀から12世紀にかけては遠隔地貿易で利益を出す都市が現れるようになり、この時代は「商業ルネサンス」ともよばれている。遠隔地貿易とは、読んで字のごとく離れた場所同士での貿易のことを意味しており、中世ヨーロッパでは大きく三つの商業圏に分類される。

→一つ目は、地中海が主な舞台となった地中海商業圏である。ヴェネチアジェノヴァといった北イタリアの都市は東方貿易を行い、ムスリム商人から香辛料や宝石などを仕入れていた。当時取引が行われていたキプロスやエジプト、トルコなどはレヴァント地方といわれていたため、この貿易のことをレヴァント貿易と呼ぶこともある。

レヴァント地方(MapMaste作、wikipediaより)

→二つ目は、北海やバルト海が主な舞台となった北ヨーロッパ商業圏である。リューベックに代表される北ドイツの都市は木材などの生活必需品を主に取り扱った。また、ブリュージュアントウェルペンのあるフランドル地方は毛織物生産で栄えた。フランドル地方は現在の北フランス・ベルギーのあたりを指す。フランドル地方では毛織物生産が盛んであったが、その原料となる羊毛はイギリスから仕入れていた。

→三つめは、地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏を結ぶ位置、つまり内陸部が主な舞台となった。ドイツのアウクスブルクフランスのランスに代表されるシャンパーニュ地方は二つの商業圏間で中継貿易を行い繁栄した。シャンパーニュ地方では定期市が開かれた。

 

*良い感じの画像がありませんでした。。

まとめ

地中海商業圏 北イタリアのヴェネチアジェノヴァ、ピサが中心となり、東方貿易を行って繫栄した。

北ヨーロッパ商業圏 ドイツのリューベックなどの北ドイツ都市が中心となり、木材や海産物など必需品を取引した。

内陸商業圏 地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏の中継貿易で栄えた。中心地のシャンパーニュ地方では定期市が開かれ、イタリアとドイツを結ぶアウクスブルクなどが栄えた。