今回からは西洋史に入っていきます。今回は、西ローマ帝国が滅亡した背景である4世紀の民族移動について見ていきます。
→この民族移動はゲルマン人の大移動と呼ばれている。この大移動はゲルマン人の一派であり、ドナウ川下流に定住していた西ゴート族が、東からやってきた謎の民族(匈奴の可能性が指摘されている。)であるフン人に圧迫されて375年にローマ領内に侵入したことに始まった。西ゴート族に連動する形でヴァンダル人やフランク人、ブルグンド人も移動し、それぞれ北アフリカ、ガリア(現在のほぼフランス)北部、ガリア東南部に国家を建てた。ちなみに、ブルグンド人が建国した地域は現在ブルゴーニュ地方と呼ばれている。また、デンマークを拠点としていたアングロ=サクソン人は海を渡ってブリテン島にヘプターキーと呼ばれるアングロ=サクソン七王国をたてた。この大移動は568年に同じくゲルマン系のランゴバルド族が北イタリアにランゴバルド王国を建てたことをもって収束した。
→また、この間にゲルマン人社会の構造も変化した。大移動前のゲルマン人社会はキウィタースと呼ばれる小国家を組織し、民会を中心とする政治が行われ、象徴としての王が君臨していたが、大移動の混乱の中で軍隊の指揮権が王に託された状態が続いたことで王のもとに権力が集中し、小王国が成立していった。
→一方、フン人は433年にアッティラ王によって帝国が形成されていたが、451年のカタラウヌムの戦いで西ローマ帝国とゲルマン人連合軍に敗北し、アッティラ王の死後帝国は崩壊した。
→ゲルマン人の大移動による混乱の最中に滅亡した西ローマ帝国であるが、その滅亡原因には様々な説がある。しかしながら476年にオドアケルによってローマ皇帝が廃位させられたことは事実であるので、ここではオドアケルによって西ローマ帝国が滅ぼされたこととしておきたい。
→その後建国されたオドアケルの王国はビザンツ帝国(東ローマ帝国)皇帝の名を受けたテオドリック大王率いる東ゴート人によって滅ぼされた。
まとめ
ゲルマン人の大移動 フン人に圧迫された西ゴート族の西進をきっかけに様々な民族が移動した。568年のランゴバルド王国成立を持って収束した。なお、大移動前に西ヨーロッパに居たケルト人はアイルランドなどに追いやられたが独自の文化を保った。
ゲルマン人の社会 キウィタース呼ばれる小国家を組織し、象徴としての王を戴く民主的政治体制を持っていたが、大移動後には王権が強化された。